サンタクララはキューバの中央部でハバナの東方290Kmの都市です。
内陸にあり産業に乏しい地域ですが、チェ・ゲバラ(Che Guevara)の街として多くの観光客が訪れます。なぜチェの街なのか? それはキューバ革命最終段階で、革命軍の勝利を決定づけた重要な戦いの舞台となった場所で、その戦いを率いたのがチェだったからです。

1956年12月、メキシコに亡命中のフィデル・カストロらがキューバ東部に上陸、シエラマエストラを拠点に首都ハバナを目指してゲリラ戦を展開した。

地方の貧困層を味方につけ徐々に勢力を増やしながら、西へと進んで行った。当時の戦況と地理的な条件から中央部の都市サンタクララを落とせば、革命軍の勝利は決まるだろうと言う状況であった。

1958年12月には革命軍がサンタクララに入り政府軍と交戦、政府軍はハバナから大勢の兵士と大量の武器を送り込み兵力は4000人に達したと言われています。対して革命軍はわずか300人ほど。この革命軍の司令官がチェでした。

チェは戦力では到底かなわない政府軍に対して巧みな戦術で、12月29日に勝利を収めサンタクララを征服、陥落した。そのわずか3日後1959年1月1日バチスタ大統領は国外亡命し、革命軍の勝利宣言が発表されました。

サンタクララの革命広場の中央壇上には大きなチェの像が立ち、同じ壇上にはサンタクララでの戦いの様子を描いたレリーフ、チェがフィデルに宛てた「最後の手紙」が刻まれた石碑が置かれている。

革命広場の壇上裏側には、霊廟と記念館がある。霊廟にはチェの最後の地ボリビアで戦った同志たちと一緒にチェが眠る。記念館にはチェの子供の頃からの写真や資料、記念の品などが展示されている。

サンタクララの戦いで勝利を決定的にしたのが、1958年12月29日政府軍の装甲列車襲撃であった。ハバナから装甲列車が来ることを事前に察知し、列車を襲撃することで大量の武器を剥奪、兵士を捕虜とし革命軍を勝利に導いたのである。列車の展示と共に見学ができる。

 
 
