キューバは、1492年コロンブスの発見から、スペインの植民地支配による砂糖とタバコのプランテーション経営に翻弄され、独立後もアメリカの支配下で、その苦悩の歴史は続いた。1959年にカストロの革命により社会主義国の道を歩んできました。これらの歴史を振り返ってみたい。

◆スペインの支配:スペインのイサベル女王が派遣したコロンブスは第1回航海で、1492年10月にキューバに上陸した。 スペイン人の入植は1511年から始まり、次々と征服し、原住民インディオは過酷な労働に曝されて、人口は激減した。 そこで黒人奴隷が導入され、砂糖プランテーションの島となって行く。

18世紀末、隣のハイチのサトウキビ農園で黒人反乱がおき、それに伴いキューバの砂糖生産が大幅に伸びた。 現地生まれのスペイン入植者(クリオーリョ)による大規模な砂糖プランテーションが経営されることになる。 そして労働力として黒人奴隷が多数輸入されるようになった。

19世紀には砂糖の世界生産量の4分の1を占めた。 また、キューバは葉巻の生産地として急成長を遂げる。こうして19世紀中頃に黒人奴隷労働による砂糖プランテーションの最盛期を迎えることになった。

◆キューバ独立:19世紀後半、白人プランターの中でスペインからの独立運動が起こる。 そこにカリブ海進出をもくろむアメリカが介入し、キューバ独立を支援し米西戦争にてスペインを排除、1902年に独立が実現した。 しかしアメリカは実質的支配を続けていく。

◆キューバ革命:1959年親米バティスタ政権を倒し、カストロらによるキューバ革命が始まり、社会主義政権が成立する。その後アメリカがキューバ産の砂糖輸入禁止したことにより、関係が悪化。 ソ連のミサイルがキューバに配備されたことによって、キューバ危機が発生した。この危機は一応回避されたが、その後もアメリカの経済封鎖は継続、キューバ経済は大きな打撃を受け続けた。

◆現代のキューバ:1959年のキューバ革命を成功させ、権力を掌握したカストロは、1962年のキューバ危機も乗り切って、アメリカ経済封鎖の圧力の中で、独自の社会主義国家建設を進め、長期政権を維持してきた。

2008年に、高齢化のため国家評議会議長の座を弟ラウル・カストロに譲った。 そしてラウルは部分的な市場経済を導入など、体制転換の兆しを見せた。 その結果、2015年7月アメリカ民主党オバマ政権は、54年ぶりに国交を回復した。翌年3月オバマはキューバを訪問、同年11月90歳でフィデル・カストロは死去した。


しかし同年末アメリカ大統領に当選したトランプは、キューバとの国交回復の見直しを表明し現在も継続している。 2021年5年に一度開催の共産党大会で、ラウル・カストロ(89歳)は党トップの第一書記を退いた。 これにより1959年から続いた『カストロのキューバ』は終幕を迎えた。

2019年には憲法が改正され大統領が復活し、カストロ一族とは血縁のないミゲル・ディアス・カネル氏が大統領兼キューバ共産党第一書記に就任した。 ディアス・カネル大統領が『カストロ兄弟なきキューバ』を束ねることになったが、その前途は多難である。
